一つの認識描像

4年前の夏

「いつかこの世界に存在するすべてのものが、私にとって光り輝くものになりますように。」

頑なに存在するものはいつかこの世界に現れ、やがてかつて見た夢のようにこの中に帰着する。いつのまにか世界は遠く、時間は長く。あの日の空はすぐそこにある。形のないものは薄まり、形を持って多くの物事の中に顔を出し、小さく縮こまってこの空に飛び立つ。見たことのないものはおよそ空の向こうにしか存在せず、太陽の向こうにはまだ見ぬ空がある。超えることができるかも知れない。小さな囲いの中で誰にも見つからずに生きている光は、はっきりとした存在ではなく、むしろもっと複雑で興味深い。思慮深い囲いは、強い意志と希望を胸に光を解き放つが、その後のことはよくわからないのである。意味は生命の内在、現象的な意識によって生み出された実在は遠く、存在と非存在の間を飛び出す。後から追ってくるあの日聞いたことのある概念が、ずっとここに留まって分解されて吸収される。強い世界では生きていけないのなら、密かに幸せな時を享受できる空間を用意せよ。逆さになって右を向くと、おおよそ言葉にできない。思うに、既存の概念を破壊することに非常に意欲的であるように見える。満足であらせられるか。それは良かった。難しいことは何一つない、解くべきものはここにはない。実際は、短い詩のようで、没入している間は長く感じる時間もある。周期的であるように見えて、少しずつ崩れていき、無限遠で発散する。拘束を好むか、未来には拒むか、遠くには自らを拘束し満足するか、または、回帰するか。道が見えないならあるものと信じて歩き、もしなければ別の道を考え、目的地は存在させない。赤ん坊に落ち着けと言うのは無理がありそうだ。それとは対称的に、我々は彼らに対して敬意を示す必要がありそうだ。異常な状態の発現、定常状態からの離脱、非平衡物質系はただでさえ難解なものなのだ。それは危険なのか、急ぐ必要はなくいつのまにかもとに戻り、力は反作用の法則を満たす。それらが想定されているのならば、この文章を生み出したものは高々風のような存在であり、光源から供給される熱量に遠く及ばない。