一つの認識描像

論理異常性入門 ~異常な世界を覗いてみよう~

ここでは、論理異常性に関する基本的な概念、アイデアをまとめておきます。

1. 論理異常性とは

論理異常性とは、「我々の世界ではありえない推論的性質」です。例えば、三段論法が成立しないとかです。もちろん、別の論理体系を持つ現実からすれば我々は異常なので、相対的なものです。私はこの世界をclassicalと呼んでいるので、この世界と同じ論理体系を持つ現実を、まとめて「Lc現実」と呼ぶことにします。Lはlogical systemに由来します。よって、論理異常性は正確にはLc異常性となります。

2. 推論の法則を生み出すもの

概念Aと概念Bを適当に取ってくれば、「AならばB」という言明が真になる場合があります。例えば、「りんごならば果物」などです。ここに、更に「果物ならば食べ物」を追加すると、「りんごならば食べ物」も分かります。このような推論のシステムは、概念の構築方法に依存すると考えています。我々は、外界から得た感覚的情報をある程度の類似性や法則性によって分別して集合として認識し、その情報の特徴的な集合に名前を付けることで概念としていると捉えることが出来ます。このような構築法による概念に対する推論は、自身を内包するより大きな情報の集合に対して与えられた概念への推移となります。よって、集合の包含関係のようにして三段論法が成立します。概念の構築法は、住んでいる世界によって与えられる情報群(ex-recallと呼んでいます)と、認識の制限や方法などの認識作用によると考えられます。つまり、別の現実では異なる論理体系が、異なる情報群に対する異なる認識作用によって構築されている可能性があります。

3. 異常な世界を覗くには

具体的な研究の手法として、まずは論理異常性を持った推論体系を発見します。次に、それが実現されるような概念の構築法を模索します。そして、その構成法を取る(または、取らざるを得なくなる)ような情報群、認識作用を調べます。Lc制限などで可算無限個の現実を構成してみましたが、認識の制限や都合の良い認識を与えるというのが肝になってきます。そして、我々が今享受しているような概念の構成法を取るのも、本来はもっと別の認識が存在するのに、何らかの制限によってこのようにならざるを得なくなっていると考えることが出来ます。自分たちが普段受けている認識の制限に気づくことは、classical逸脱の有効な手段になると考えています。

4. まとめ

我々はこの世界に存在し、当たり前のように今自分が可能な認識を行っています。しかし、それは実は他の現実から見れば異常で、様々な可能性が存在するはずです。この可能性を認識するため、異常な推論を実現する現実と認識作用を考察する。これが、私が創った学問、論理異常学です。ごめんなさい。勝手に言ってるだけです。properな学問ではないです。でも面白いと思うので、ぜひ皆さんも色々考えてみてください。