一つの認識描像

無限の幸運と無限の不運,どちらを得るか

この世界は苦痛です.そして,苦痛に関して2つの考え方を取ることがあります.一方は,自分は幸運であるという考え方です.なぜなら,今自分が感じている苦痛に留まっているからです.これ以上に苦しい状況なんていくらでも考えられます.その無限の苦しみの可能性を棄却して,自分が現在享受する苦痛に留まっている.これは大変ありがたいことです.三日三晩,屋根があって食べるものもあるというのは,奇跡でしかありません.他方,自分は不運であると考えることもできます.現在よりも好ましい状態などいくらでもあります.その無限の喜びの可能性が今現れておらず,そのうえ苦痛を生じているならば,これは不運と呼べるでしょう.

このように,現状の実現に対して可能性というのはいくらでも考えられるため,自身が無限の幸運を持つか,無限の不運を持つかというのは認識上任意です.そして,享楽を必要以上に求めることは後者を自然に採用することに繋がるのではないかと考えられます.

享楽に多くの時間曝されていれば,それが認識上になんとなく存在することになります.すると,常に現状よりも良い可能性が弱く想起されている状態になり,相対的に現状が下であると認識されやすくなるでしょう.

対して享楽から離れていれば,まず視点が現在そのものに戻ります.そこには苦痛もあり,悲しみもあります.これらを享楽で一時的に上書きするのではなく正面から向き合うと,だんだんと苦痛を受容できるようになります.苦痛は不運ではなくなり,苦痛に依る悲しみや惨めさを克服できるようになります.

ただ,享楽に曝されているほどそれを失うことに悲しさを覚え,なかなか現状を変えづらいものです.人の心は千差万別,私が持っている考えが他の誰かに当てはまるとは思えませんので,まずは世界から離れて自分自身と深く向き合う時間を1日10分でもいいから設けるのが良いでしょう.これはあなたを享楽から10分遠ざけてくれるでしょうから.