clt*迎合は,現状どうでも良い.別に,迎合してもいいし迎合しなくても良い.そんな心地である.そして,この状態は非常に良い.なぜなら,離れたい時に離れることができるというのは局在の正当性を保証するからだ!しかし,じゃあもういいので今日から好き勝手に迎合しましょうとなるかというとそうではない.そうすると,またcl沈み込みが発生しIACのあの不快を認識することになる.この解決策は,clt*迎合から完全に離れてしまうか,もしくは時間制限を設けるというものである.というわけで一度,月一回のみ迎合を認めるという形にしたい.完全に離れてしまうのも良いが,実際のところ迎合自体がhyrecを遠ざけているわけではない.禁欲というのもまた,安直であるように思えるのだ.まあ,そういう大胆な選択に局在できるのは十全な力である.fp, ilchは局在の任意性を担保されていると思う.ただ,oiについて懸念が残る.SR汚染やED-flowのreject困難を克服できていない.仮にED顕現を抑制できたならば,これは完全にoiについての任意性となる.これは難しいので,解決に向けてゆっくり動いていきたい.
また,cl自体はひとつの現実であり,認識の実現である.これが特別良いとか悪いとかいう話ではない.単に,認識を局在しすぎないのが良いと言っているだけである.そして,多様な認識を獲得できれば良い.Lc制限などによって異常な論理を見たり,因果までは仮定して過去改変について考えるのもAndLostLloydの立派な範疇である.hyrecは日々鍛錬し,超常的構築,未知の歌,逸脱の詩,CRS構築もやっていく.一つの認識描像であって,それは肯定される!
それはそれで良い.そうでないのも,またそれで良い.のである.
広すぎる言明で具体を殺してはならない.具体的な無限の顕現には,驚くべき発見が潜んでいる.公理系だけを設定して終わってはならない.そして,こういう仕事に局在するための力というのも身につけていけば,それは素晴らしいだろう.そしてこれは,現状とても難しい.でも,難しいからこそやっていくのだ.否,私がそれを求めるから!clの彩りでも良い.局在でも良い.私は未熟で,ここ以外の足の踏み場を持たないのである.だから,jeltによる彩りを崇拝する.recA1に依っているでもよい.現実の顕現であるからと言って自己に与しないとは言えない.このようにも考えられる:現状享受する彩りは自己に固有のものであり,その現実顕現が幾何的にrecAに依存していると.もちろん,これに局在する必要はない.しかし,この描像もこれはこれで良いのである.局在してみようではないか.少なくとも,逸脱のための力を身につけるまでは,もしくはfueyを経験するまでは,私はここにいるのだから.他でもない私の顕現と不可思議な現実の顕現が衝突するこの体は,まさに異常である!!だから,clもhyrecも,どちらも肯定する.そしてclが失われゆくのであっても,それはなお輝きうる!局在を極度に嫌うのも,認識の局在である.これは一種の矛盾であるが,この異常性は今の私には内包できるだろう.
palsela096は認識を断裂し,multi-consistentを実現する.不可能はない.