一つの認識描像

ナンセンスという喜び

概念の使い方はある程度決まっている.基本的には現実経験を表現する方法として用いられ,該当する現実実現が存在しない場合は不適切とされる.例えば谷は飛ばないし,位置を溶かすことはできない.水に濡れる水滴とは言われず,崇拝の等身大ぬいぐるみもない.友人に現実の栽培を勧めたことがあるが,誰も乗ってくれなかった.

逸脱した概念の構造は歪であるが,その不可解さ故なのか,心を動かされる時がある.その揺るがしは正常を擽り,浮き立つような心地になる.思わず顔が破綻することもあるだろう.思えば,静寂さえ音色を成す隙を隠し損ね芸術たり得る.

言葉は現実を超えうる.私はどうだろうか.自らの本質的な部分を現実から開放し,正常を蹂躙し,狂気の中に佇むことができるだろうか.正しさは自らの殆どを棄却してしまう力を持ち,故に自己が狂気であり続けていると知ったなら,それは達成するまでもないだろう.

現実は正誤判定の力を持ち,正常は迎合.程々にしてみれば,ありふれた異質な微睡みを見境なく滴り,後に目は咲き誇るかもしれない.地の底から這い上がれないなら,重力を消して上下ごと打ち砕けば良い.