一つの認識描像

今後重要になりそうな考え方:物質主義からの逸脱,苦痛の受容

物質支配的な社会であると批判されて久しいですが,私の実践によれば,物質依存状態からの逸脱を重視する時代が来てもおかしくないと思います.芸術などの文化の推移を見てみると,大抵現在主流の文化が隆盛した後はそれに拮抗するような文化が台頭して,反転現象を繰り返しながら波打っているように思えます.なので,物質的豊かさの状況と問題点を上げ,そこに拮抗する形で次に支配的になりそうな考え方を見ていくのが面白いと考えました.以下,それについて話します.

1. 物質的豊かさの功罪,合理性と説明可能性.

物質的に豊かであるとは,自分にとってメリットのあるモノに多くアクセスできる状態であると考えることができます.これについては,以前の記事でも考えました.これによって不快を避け,より多くの快適な経験が可能になります.これは一見良いことに思えますし,確かに適切に活用すれば人生を豊かにしてくれます.しかし,これを良しとする思想が醸成する可能性がある優劣の認識と,単純なデメリットを考えてみることもできます.
最近思うのは,「幸福」であることを追い求める人が増えているということです.本来これは追い求めるものではなく,見出されるものです.適度ならば追い求めても問題ないと思うのですが,「幸福」であるかどうかが「合理性」へと結びついている気がします.つまり,ある言動はそれが言動の主体に「幸福」を齎すかどうか,齎すならその程度はどうかを評価し,それが高いほど合理的であるという考え方です.このような評価基準があると,人間は往々にして優劣の認識を発生します.こうして「幸福」でないことが何故か「悪いこと」,「幸福」に繋がらないことが何故か「愚かな行為」として貶められる羽目になります.実際はそんな事ありません.幸福であることは義務ではなく,その量など測るべくもなく,ただあるのです.人間には,他者からの批判に反発し自身を守る機能があります.時に,この機能がやや強く出ている人もいます.こういう人については,自分の言動をできるだけ説明可能な形で合理化しようとする傾向が生じる可能性があります.すると,「幸福」という本来主体的認識で追求の対象ではないものについて,自分の行動がそれを求める上で説明可能な合理性を持つ,という理解の枠組みを作成することになり,これは精神疲労や内的な軋轢に繋がります.もちろんこの議論が絶対正しいという主張ではなく,あくまで可能性の話ですが,当てはまる人は多少いるのではないでしょうか.こうすると,数値として分かりやすい指標である金銭や,自らの優位性を説明する根拠となりうる地位・名声の獲得に腐心することになります.これはいつでも悪いことではないですが,自分を顧みる機会を失う危険性があります.
また,物質的に豊かであることによって自らが抱える問題をモノによって解消してしまい,自分自身で対処する機会が失われます.また,苦痛を必要以上に避けるようになり,それが持つ特別な面白さを見出す可能性が損なわれたり,苦痛に対する恐怖が強くなり,不安傾向が高まったり死を受容する難しさが強化される可能性があります.この世界に存在する上で苦痛を被るというのは避けがたいことであり,それはこの世界の性質です.安心は底なしの欲求です.不安の中,ゆっくりと深く思考して自分なりの答えを見つけ,棄却してまた考え,といったプロセスを経なければ自分自身で苦痛に対処し受容する能力を育むのは困難です.逆にこれができれば,世界をより楽しむことができます.

2. 精神的豊かさと,苦痛の受容

今後,以上のような問題点が社会的に広まっていく可能性が考えられます.人間は基本的に楽な状態を好むので最初は訝しがられると思いますが,少数の実践者から始まり,少しずつより良い存在状態へと向かう苦しくも乗り越えるべきプロセスが広まっていくことを私は期待しています.また,科学技術がより発展することで,人々がより多様な認識・考えを持つことが許されるようになると思います.一昔前までは就職して働かなくては生きていけなかった人が,何らかの別の収入を見つけてより多様な生き方を実現しています.こうなってくると,自分の考えを大切にし育む機運がより高まってくると思います.さすれば,快・不快という単純な二分化・二項対立から逸脱して,より多様な価値観を思索するために,一度は快楽から離れ苦痛に向き合ってみるということの重要性が増してくると思います.そして何より,自分自身の考えを醸成しそれを肯定する,必要以上に個人が接続された状態から,より多様な状態へシフトしていくという重大なイベントが発生する可能性があります.

3. まとめ

価値は与えられているもので全てではなく,自分専用のものを自らの手で創造して良いものです.社会的な物質主義からの逸脱は,このことを人口に膾炙させるでしょう.そして,人は一人ひとり本当に異なった存在であること,自分の意見と他人の意見が合わなくてもそれは当然で,であるから面白いことが理解されると思います.これは言葉で言えば陳腐かもしれませんが,本当に腑に落ちるまでには長い時間がかかるものです.なので,ここに書いた予想は実現されるにしてももっと先になるかもしれませんし,全然実現されないかもしれませんが,もし実現されたら面白いなーということで書き残しておくことにします.