一つの認識描像

1+1は本当に2なのか

傘を一本用意して、もう一本用意して、数え上げると合計二本。よって、1+1=2という等式が成り立ちます。この等式は物質の具体的な性質を超えて、それが数えられるものであれば普遍的に成り立つという強力な性質を有しており、そのおかげで物理学が数式で記述できるといった点があります。今回は、この基礎的な等式をもう少し考えてみようと思います。

1. 「数えられる」とは

それでは、まず1+1の1について考えていきましょう。それに番号を振ることが出来るので、これは数えられるものです。数えられるためには、それが存在していることが明白でなければなりません。つまり、算術の基本は存在の本質と関わっていると言えます。なので、まずは存在しているとはどういうことかについて考えていきます。例えば、目の前に何の相互作用もしないボールを思い浮かべてください。何の相互作用もしないのでもちろん見ることもできませんし、触ることもできません。そのボールに関して何かを感知することはありませんし、そのボールがあるからと言って何かが変化するわけではないのです。このようなボールを、存在しているというでしょうか。これは存在しているのかどうかわかりません。実際にあなたの周りにこれが大量に存在していてもいなくても、何の問題もないですし、存在していることもしていないことも実証することはできません。このようなボールは、我々が論理的に扱えるものではないのです。なので、存在しているとは相互作用していることが前提となります。もしくは、「何かと相互作用する可能性があるもの」を存在と定義することが出来ます。そして、数えられるというのはこの存在のうちで「かたまり」的な性質を持っている物であると考えることが出来ます。例えば、エネルギー量子は数えられるものです。

2. 1+1が「起きた」とき

それでは、1+1について考えていきましょう。しかし、存在であるためには相互作用している必要があります。この世界にもし粒子が1つしかなければ、それは存在しているかどうか怪しいものです。その存在が意味を成すためには、もう一つ粒子が必要で、これらが相互作用しているべきです。つまり、存在の根源的な数字は2なのです・・・と言いたいところですが、場の量子論によると相互作用するにはゲージ粒子が間に媒介する必要があり、この時点ですでに3以上になっていることが分かります。つまり、1+1は3以上なのです。そして、2とは3-1でしかありません。まあ、粒子の種類を区別すればちゃんと1+1=2となりますけどね。しかし、物体の具体的側面を無視してしまえば1+1を3以上と言ってしまうこともできそうです。傘の例に戻って考えてみれば、1+1=2というのは古典的な近似であるということもできます。相互作用のための粒子が「見えない」がゆえの等式です。まあ、だから何だという感じですが。

個人の妄想なので、あしからず。もし遠隔作用が現実なら1+1=2というのは量子論でも成り立っていそうなので、因果律が基礎的な算術に考察の余地をもたらすというのはちょっと面白かったりします。