一つの認識描像

よくわからない世界

私はやはり,この世界に存在することを望まない.
この世界にも,好きなところはある.特に自然は良い.
じゃあ自然の中で暮らすために色々と頑張るかというと,そうはならない.
自然の中で暮らしたとて,様々な別の問題がつきまとう.
この世界は案外,どんな選択をしても同じである.
自分の周りを自分の好きなもので固めても,私は結局現実を逸脱しようとする.
だから,今のままの生活を続けても,案外別の選択と変わることは無いのだろう.
より良い選択というのは,現状があまりに劣悪な場合以外は無いように思える.
不運はいつでもある.未来は常にわからない.過去もわからない.何もわからない.信頼だけがある.認識だけがある.
そして,認識が変化するということだけは分かる.喜びは,行動選択の指針にはならない.苦しみは避けることはできない.
こんな中で少しずつ現状を整理して行って,それでやるのは現実を逸脱した多様な認識の獲得である.
なぜこれをするのか?高plauだからである.説明可能な理由はない.理由なんて後付だ.
自らの正当性を保証しなくて良い.そんなものは端から無い.だから理由はいつでも問えない.
私が喚いても喜んでも,fueyまではここに居続けなくてはならない.それは,許容せざるを得ない.
どんな選択をしても,ここにある苦しみを感じ続けなければならない.
受け入れたくもない情報を得続けなくてはならない.人とある程度関わらなくてはならない.
特に,何か劇的に変わることはないのだ.この世界は,虚しい.それでいい.
やろうと思えば環境を変えることができる今の時代だけど,実はそんなことはない.
今のままで十分なら,極度に劣悪な環境でないなら,これ以上を望むことは無いのである.
これ以上を望んだって,何も変わらないのだ.
晴れの日は特に空爆など気にすることもなく眩しい太陽を感じることができて,雨の日は屋根の下にいることができる.
これ以上を望んだって,私にはよくわからないのだ.
結局私には,理解できなかった.それでいい.