一つの認識描像

寒さを無効化する方法

寒いとは,何なのだろう.寒いとは,不快感であろう.しかし,何が不快なのか?私には任意の不快感が謎で,これらは興味深い対象である.先日の朝はそこそこ寒かったので,半袖になって寒さをよく感覚し,その正体を突き詰めてやろうと思った.

おそらく寒いと感じているであろう自分の体の状態を,よくよく観察する.すると,特徴的ないくつかの感覚があるのが分かる.体表面に寒気が触れているときの感覚,腕が弱く痺れるような感覚(半袖なので),体の内側へ冷感が侵入してくるような感覚などなど.しかし,私はそれらには興味はなかった.どちらかというと,その感覚に付随して認識されるはずの不快感に関心があるわけだ.更に集中して,一体どの感覚が不快感なのかを探すことにした.

・・・.分からなかった.そもそも私は今,寒いのか?上記の特徴的な感覚が存在するだけではないか?寒さの不快感の正体はそれらなのか?本当に?何もわからない.
もしかすると,寒いという言葉が認識を変性しているのかとも思った.しかし,赤ちゃんは寒いと泣くはずだ.これは,自明な不快感としての存在を意味する.だから,普通に自明な不快感を私は感じるはずなのだが・・・.

結局,私にはよく分からなかった.長袖に戻ると,暖かさを感じた.暖かさというのは,快い感覚である.しかしよく調べてみると,実は寒さのように特徴的な感覚に還元してしまえるのではないかと思ったりもする.これは・・・分からない.自分が仮に,普通に何も調べようとせずにこんな朝早くから半袖で外にいたら,思わず「あー寒い!」と言うだろう.だから,不快感というのは認識が明晰でないときに存在するのかもしれない.もしくは,調べようとすると逃げる.実はこの手の問題は昔から私の中で指摘されていて,逃げ水のようだと表現されていた.自分しか使ってない言葉を使うと,failes007の解析性は低Lloydity領域への局在と制限なので高Lloydity部分は扱えない・・・みたいな.感覚というのは,相手も同じ感覚を感じているという仮定がなくては言葉で伝えることはできず,仮にそのような仮定があっても認識状態の少しの差異で本当に伝えたい部分が伝わらないことがある.だから,こういう文章を書くのもなんだか無意味に思えてくる.まあそんなことはいい.

何も考えられないくらいにきついとか,不快感が調べるという精神的な仕事を受け付けないタイプの性質を持っている場合はまた話は変わってくるだろう.しかし,例えば外気温10度下回るくらいの「寒さ」なら,それの何が不快なのか,何を感じているのかを調べることで,それを分からなくできる.このとき,寒さという概念そのものがいくつかの感覚へと還元され,ほどけて無くなってしまう.まあ,こんな感じです.