一つの認識描像

存在-非存在間を振動する概念振動子の現実顕現をクリスマスに見出すことが可能である

振り子は揺れます,ゆらゆらと.あっちにいって,こっちにいって,繰り返します.まあ厳密に言えば空気抵抗など様々に考慮する部分は存在しますが,振動現象のバネに次ぐ代名詞的存在と言えるでしょう.それで,この「振動」という概念を概念空間上に顕現しようとした際に,例えば存在と非存在という概念間の振動を屁理屈である意味で実現できたら面白いなあと思いました.これは,クリスマスシーズンによく見出すことができそうであると分かりました.それでは,お話のはじまりです.

存在とは,何でしょう.これはとても難しい問題なのですが,その一側面を捉えるために次のような場面を考えてみましょう.電球があります.それをちらっと見たとき,光っているように見えました(時刻0とします).でもよく見てみると,電球に外から来た光が当たって反射しているだけだと分かりました(時刻1とします).このとき,時刻0のみの情報で考えると,認識主体(ここでは認識主体の存在は仮定します,別に認識だけでも良いです)は「電球から発せられる光」の存在を認識している状態となります.これはあくまで認識で,標準的な自然科学的描像と時刻1の情報を組み合わせることによって「電球から発せられる光」の存在は時刻1の時点で後から打ち消されることになります.
ああ,見間違いだったのか.そういうこともあるな,と学んだ認識主体さん.それからそんなに日数の立たないうちに,また電球がちらっと目に入り,光っているように見えました(時刻2とします).ここで電球を確認するのをぐっとこらえて,認識主体さんにとっての「電球から発せられる光」の「存在」の認識はどのようになっているか考えてみましょう.時刻0以前であれば,その存在は特に疑念を持たれること無く強く信じられていたでしょう.しかし,時刻1を超えるとその信頼は揺らいでしまいます.確かに光っているように見えた,でもあの時は見間違いだった・・・.うーん・・・.

どうやら「存在」という概念は,その信頼に依存しているようです.ここで,存在に関連する信頼の認識をErということにしましょう.そして,Er=1が強い存在の信頼状態,Er=0が強くその存在を否定している状態とします.そして,どっちかわかんない場合は,その認識的な確度によって中間の値を取るものとしましょう.この中間の値をどのように定義するか,そもそも定義可能なのか,というのはわかりません.しかし,中間の値が存在しそうというのは分かります.Er=1はそれをよく注視していれば実現できますし,Er=0もそれが存在しないということを実際に確認することで実現できます.厳密なことを言うと,そのような認識をEr=1や0の定義とすれば良いということになります(経験が幻覚であっても,その認識自体は自明に存在するから議論の盤石な土台となりうる).端点の存在が分かっていて,中間の実現性もあり,でも連続的に動くか,数値化できるかは分からないという結構不思議な状況ですが,これで「存在・非存在」という概念の一種の(kind of)連続拡張を考えることができます.

さて,懐疑的な立場に立ってみましょう.電球が光っているとします.目をつぶってみます.さあ,「電球から発せられる光」って存在してますかね?上記のように自然科学的描像では,十分にErをほぼ1としていいような場面でしょうが,懐疑的な立場に立つと確信を持って言えることはありません.一般的には,「次に目を開けても光が見られる」という信頼の認識をもって存在とすることで懐疑論を回避することが多いですが,今回の振動的性質の実現についてはそのような回避を行わないほうが都合が良いです.つまり,目をつぶることでEr∈(0,1)を実現すると考えてみましょう.そして目を開けると,またEr=1に戻る.なんだか振動してきましたね.しかし,これだと非存在まで到達できません.そこで,ピカピカ光る,イルミネーションについて考えてみましょう.

クリスマスにはイルミネーションが多く見られます.まずは光って消える様子をよく認識しましょう.ちょっとでも光っている時はEr=1, 消えた時はEr=0です.Er=0, 1 となる時間は十分に長いと仮定します.まず,Er=1の認識状態を実現します.ここで,目を閉じます.そして懐疑論の立場に立ちます.Er=0のタイミングで目を開けます.Er=0を実現します.目を閉じて懐疑.Er=1のとき目を開ける.Er=1を実現.懐疑,つまりEr∈(0,1)の間にEr=0, 1 となる認識を挟むことで,存在-非存在間の振動を作り出すことに成功しました!皆さんも今年のクリスマスには,存在-非存在の概念振動を楽しみましょう!!