一つの認識描像

息を止める苦しみ

最近,呼吸しないことにハマっている.息を吸って,吐いて,9割くらい吐き終わったらそこで息を止める.最初の方はもちろん大丈夫なのだが,そのあとに様々な苦しみが襲ってくる.
私は苦しみそれ自体に興味があり,これを応用することで自身をより良く制御することができるのではないかと考えている.実際,大抵の苦しみは息を止めて90秒経ったときの苦しみを超えないし,大抵の衝動はその時の呼吸衝動に勝てない.だから,「あの苦しみに比べれば余裕」というふうに苦しみや衝動に打ち勝つことができるようになる.苦しみという認識自体も面白いと思っているのだが,この興味というのはなかなかわかりやすく説明しにくい.とにかく,私にとって苦しみとは不思議な存在であり,それに近づいてよく調べたいと思うのである.
息を止めて暫く経つと,もちろん呼吸したいという衝動が出てくる.まずこれを棄却する.人間の体は5分くらいまでなら窒息から生還できる.それには遠く及ばない時間でも体は警戒を鳴らすので,良くできている.逆に言えば,時間を見ている限り苦しくても心配することはない.こんなふうに考えて,次の段階を待つ.
そこから10秒後くらいには,不随意の運動が発生する.これは実際に息を止めてみると経験できるし,私はこれを止めることができないので恐らく不随意だと思われる.このあたりになってくると苦しみもかなり強いが,一番厄介なのは「呼吸すると楽になる」という安楽への希求である.こうやって楽で行動を誘導・制御するのは実際よく効くし,巷にも溢れているのではないかと思う.実際呼吸を止めてみて,苦しみで制御されるよりも楽で誘導される方が失敗率が高い気がする.苦しみを追い求めるくらいの気概でいなくてはならない.

限界が近いと,どうしても安静にしてはいられなくなる.最後は切りの良いカウントまで我慢して呼吸を解禁するのだ.体は熱く感じ,全身にややチクチクとした痛みを感じる.しかし,安静にしてちょっと経過するだけであの苦しみを忘れてしまう.喉元過ぎれば熱さを忘れる.なんというか,全体を通して考えさせられる経験である.
訓練すれば時間は延ばせるらしいので,いつか呼吸依存症を克服しようと思う.