一つの認識描像

Google Adsenseを外した

最近,Google Adsenseをついに外した.前々から付けないほうが良いとは思っていたのだが,ようやくと言った感じだ.理由は,このブログの雰囲気・内容に合わないのと,私自身が辛いと感じるからだ.正直,自分はAdBlockみたいなのを使ってたので表示はされなかったのだが,一度無効化して見てみるとまあ酷いというか・・・.

このブログの変遷を見るととても謎で,最初は英語の勉強も兼ねて海外の科学ニュースを見つつ最新の研究結果などを記述したりしていた.当時はあわよくば稼げればいいなーと思っていたので,Adsenseをつけることにした.それから普通に自分独自の記事を書くようになり,現状は非常にカオスである.これは何故かと言うと,私自身の変遷がカオスだからである.

私の一つの趣味で,概念認識を削除するというのがある.これの延長というか実践的な意味も込めて,欲求そのものを消し去るということも試みている.これは今でこそ上手くいっているのだが,最初はやはり難しかった.しかし,自分が普段得ている認識を絞ることによって,情動は制御可能なレベルまで落ちることがわかった.ここから推察すると,自分の思考や行動というのは自分の意志という要素の他,外部から得られる認識の影響を強く受けるということがわかった.この気づき以来,駅など町中の広告類・チラシなどが本当に「痛い」のだ.右腕の付け根から右肺の左側に突き刺さるような痛みを感じる.認識汚染の痛みである.ホントかよと思うかもしれないが,こういうのは言葉では伝わりづらい.「認識汚染を嫌う」なんて言葉で言えばこれまでだが,自分の長い考察・実践と固有の認識体系による本当の体験としての認識は,体の痛みに帰着されるほどなのだ.言葉だけが高速で飛び交う中では,このような体験は難しい.

それに私は,文章を書くのがただ好きでブログを書いている.正直,日本語として意味を成さない記事もあるし,大抵が普通の人から見れば頭おかしい記事になっているのではないだろうか.私の認識体系は,もはや従来の他者に理解されうるものとは大きく異なる.そのちょっとした断片をここに射影しているのだ.こういうのが普通にネット上にあるというのはナンセンスギャグのような面白みがあるし,記事を書くことがちょっとした息抜きにもなっている.お金稼ぎのことを考えると,こういう自由で自然なモチベーションが薄れてしまう.そもそも認識体系が社会に染み出してしまって,私が弱くなる.自分自身を溶かしてまでお金を稼ごうとは思えない.胃がグニョグニョする.そういうわけだ.

まあそれでもなお,ブログの無料版なので運営側から設定された広告はあるのが現状.というわけで,広告ブロック機能大歓迎というお話でした.