一つの認識描像

私はとっても普通だ

私は普通だ.なんとも普通だ.普通の人生を送ってきた.
普通に生きてたら科学に興味を持ったし,普通に生きてたら物理学を志した.そして普通に考えたら因果や論理というものが頭おかしいことに気づくし,さすれば当然哲学的な考察をするようになる.そして認識は自然と現実を逸脱するようになり,現実に依存しない学問として数学に興味を持つ.認識のみで世界の説明を試みようとするのは当たり前だし,その中で様々な異常な概念に出会うのも至極当然だろう.そうして,自然と異常な景色が見えるようになり,自分独自の認識体系のもとで存在を続けたいと思うわけだ.現実経験認識という不明な局在構造に対抗して,自分で好きに選んだ局在の中に閉じこもりたいと思うのも普通だ.だから現実の栽培もするし,異なる現実の論理を考察したくもなる.このような普通の組み合わせで,普通な私が出来上がっている.
普通に考えたら,生きていて不安になる.不安は無限だ.次の瞬間に死ぬよりも苦しい状況に永遠に置かれる可能性だってあるのだ.これ以下の不安要素も無限に思いつく.死ねば苦しまなくて済む.楽な状況に流れていってしまうというのは普通だろう.だから,生きて行きたくないと思うのは普通だ.しかし,死それ自体やそこにいたるまでの過程に対する恐怖は常にあるので,なかなか死ねないのも普通だろう.自分の思う通りにいたくて,制限されるのは嫌というのも至極当然だ.だから,他人と関わるのが嫌いなんて当たり前なのだ.
一方で,楽しいこともある.空を見たり自然と触れ合うのは楽しい.こんなの当たり前だ.考察が楽しいのも普通だ.異常な景色の複雑さや美しさ,なんとも言えない感覚に浸るのも面白い.現実を超えた認識は新鮮味が合って,それなら楽しいのなんて当たり前だろう.
私はなんにも特別ではなく,本当に普通に生きてきただけなのが良く分かる.もはや,普通という言葉さえ必要ないのかもしれない.