一つの認識描像

精神的な豊かさとは何か,具体的にどうすればいいのか,に対する回答の一つの可能性

二元論的に物質と精神を対比し,物質的な豊かさと精神的な豊かさに分けます.物質的な豊かさとは何かを考えて,そこから精神的な豊かさについて推測してみます.

物質的な豊かさとは,物を自由に使用・消費して自らの苦痛を取り除いたり安楽を享受できることだと考えることができます.自分にとってプラスになる物に多くアクセスできるということです.この「プラスになる」というのが落ちると,単にゴミに囲まれている状況も含まれることになるので,この認識は重要だろうと思われます.

ここで,この状態に対する(些か安易な)批判をしてみましょう.自分が苦痛を感じているとき,物質的に豊かであれば,それを何らかの手段で外部から取り除くことができます.しかし,これは自分自身で思考・試行して苦痛に対処する能力を育む機会を奪っているとも言えます.仮に,物質に依存せず自分の力で苦難に対処でき安楽を享受できるのならば,その人は精神的に豊かな人であると言えそうな気がします.少なくとも,このような属性を「精神的な豊かさ」という概念の1つの側面として考えることができます.

よって,上記のような物質依存性の少ない望ましい状態の達成を目指すというのは,精神的な豊かさを目指す上で一つの分かりやすい指標になるのではないかと思われます.具体的な取り組みとしては,例えば自分が物質に頼っている部分を書き出してみて,それを自分の力で解決するにはどのような能力が必要かを考えて実践に移す,など考えられます.

物質に頼っていると書きましたが,これは外的な作用に頼っていると言い換えて,もっと広げてみることもできるでしょう.さすれば,自己が外的な要因に対して堅牢であり,自分の力で苦難を乗り越えるか適切に回避するということを理想とすることができます.しかし,例えば他者との助け合いを是とする場合は,この描像はやや軋轢を生じる可能性があります.世界は複雑なので,一つの分かりやすい言明で表される目標をそのままどこまでも適応して実現しようとすると,往々にして何らかの困難に遭遇することになります.なので,適応範囲のある程度の線引きは必要になります.中庸が大切とはよく言ったものです.

このような線引きや,もしくはあえて曖昧なまま残したり,いくつかの考え(相反しても良い)を自分の中に同時に内包して多様性を受け入れ,外部に注意しながら信念のもとで適切に行使したりするという認識上の仕事はとても難しいものです.私も何度も失敗し,今も失敗し続けていますが,それでも無限に取り組んでいます.以上,割りと普通な考えでした.