一つの認識描像

官能的な喜び・快楽を避けるには

一次的な快楽を避けようとすることは難しい.しかし,不可能ではないと思う.以下,私の経験からいろいろと語っていく.

まず,なぜ快楽を避けようとするのか.この理由は,明白に認識してはならない.なぜかというと,説明可能な認識は同じく説明性を持つ棄却者(つまり,言い訳)によって無効化されてしまうからだ.説明不可能な理由というのをいつでも説明可能な理由より優位に認識すると,そもそも言い訳を考えている時点で思考の中断が入る.この世界の中に存在する説明可能な価値は,一連の手続きで結構簡単に無効化できる(Lc general rejectorと私によって呼ばれる).興味のある読者は,自分で構成してみることをおすすめする.私は一切の責任は取らないが.

現実性の認識は,自分の体だけとは限らない.ここでは,自分というものの定義には立ち入らない(能力がなくて立ち入れない)が,自分をとりあえず「『自分ではない』ではない」として考える.そして,自分ではないものとして,現実に依る認識機能を付与する.つまり,葛藤の原因となる欲求の認識などは自分由来のものではなく,現実によっていると考えるのである.別にこれが真実である必要はなく,自分の認識を有効に制御できれば良い.なので,自分の外側には出さないように.
現実の中に埋め込まれた物理的な体をrecA1と呼んでいるが,現実性の認識作用はrecA2と呼んでいる.一般に認識を引き起こす作用をdriveという.つまり,欲求はrecA2によるdriveの一種と考えられる.recA2のdriveに取り合わないことが肝要だ.

recA2は現実由来であるが,それ故完全な制御は難しい.しかし,繰り返すことによって徐々に性質を変容させていく可塑性を持つ.このようにして問題が解決されるまでは,なんとか凌がなくてはならない.そこで,recA2によるものはしょうがないのだから,天候のようなものであると認識する.天気が悪いときは,家の中で大人しくしてると良い.
特に欲求が存在する状況を「風」で表現する.例えば,熱風とか,説明不可能な理由だが黄風と呼ぶような風もある.どうして風の影響が強く効くのか.遮蔽物がないからである.例えば,防風林などあれば良いし,森の中だと比較的安全なのである.欲求に頼らねばならない状況というのは,心が乾いているという説明がなされることがある.ここから,好ましくない熱い風の吹く状況に対して「砂漠」を視覚的表現として与える.recA2が砂漠化しているなら,ゆっくりと時間をかけて緑豊かな場所に戻していく必要がある.まずは,焦らないこと.そして,穏やかな心を与えること.recA2を豊かにすることができれば,私もますます穏やかでいられる.

対して,recA2のdriveを無効化する方法としてもっと攻撃的なものもある.欲求を抱き「〇〇したい!!」となっているその強い感覚をrecEと表す.recEに対して強い憤慨の意を持って敵対する.攻撃性の象徴を作成して,それをrecEのメタ認識に応じて顕現するなど.
もしくは,他の不都合なrecA2による認識を,そのままループしてrecA2に返し,突き刺すという方法もある.例えば,recEを見たとき黒歴史をわざと思い出してrecA2に鋭い不快感を以て突き刺す.毒を以て毒を制すのである.これは結構面白くて,黒歴史の存在というのは単なる便利な道具でしかなくなる.自分ではないものから生まれた作用は,自分ではないもので閉ざしてもらうほうが,こちらとしても都合が良い.

または,説明不可能な理由によって苦しみを追い求めるなど.なんにせよ,一度「幸福」という言葉から離れてみるのが良い.これはそんなに大事なものだろうか.また,世に出回っている「幸福」は単に経済的利益を求めることの免罪符になっているような気もする.もちろん,これも真実である必要はない.もし,こんな「幸福」というのがなんか嫌だなあとなったなら,それは有効に認識を改変したことになり,自分の中で閉ざすことで特に軋轢を生むことはない.誤った認識,本当かどうか怪しい認識も,客観的な文脈でなければこのように有効に活用できるし,案外自己存在にとって本質的だったりするのだ.重ねて言うが,くれぐれも自分の外には出さないように・・・.
やや話が逸れたが,明示的な快楽が鬱陶しいと感じているならそれらを避けてみると良い.そして,自分が本当に追い求めるべきものは何か,見つけられるかも知れない.皆さんの健闘を祈っている.

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