一つの認識描像

自己存在の開始方法

以下の手順を実行せよ:

1. 快楽は劣悪であると理解し,棄却できるようになる.
2. 外部依存の認識を最小限に留める.
3. 世界は苦痛と理不尽に満ちていると理解できるようになる.
4. 任意の苦痛・不快は「不運」であると理解する.
5. 苦痛に屈せず,不運を許容する.今後一切の苦痛・不快を案ずることを諦める.
6. 快・不快など従来の任意の価値判断から逸脱し,自己の在るべき姿を理解する.

以上.

苦痛を楽しむ

ああ,痛快!この言葉は面白い!
雪の降る今日も冷水シャワーを浴び,勝手に鈍ってしまう体に冷たさを突き刺す!これのなんと鮮明なことか!鮮明な感覚,これこそがこの現実の,一つのリアル!現実の本当の体験なのである!
痛快爽快!全身で感じるこの本物の,全然生ぬるくない鋭く文字通り目の覚めるような感覚が・・・好きになってしまいそうだ.だとすれば,どんなに素晴らしいだろうか!!

眼前:最高画質の映像

自分の手を,良く目で見てみる.手には細かなシワが有り,光が当たって艶や影がある.手を動かしてみると,この非常に複雑な構造が変化してゆく.この質感!これをコンピュータで再現しようと思えばどんなに性能の高いGPUが必要だろうか.私はこの複雑さに見とれてしまう.

タオルを見てみる.糸の撚れた構造が,非常に多く顕現している.この光景のなんと面白いことか!タオルをゆっくり動かしてみると,ああ,これぞまさに「リアル」なのである.その圧倒的な鮮明さ,複雑さは,感動に値する.どうしても,感動してしまう.

ゆっくりと見てみると,この世界はこんなにも美しいのか・・・.こんな認識が実現されているというのが,不思議で不思議でたまらないのである.

超常的スイーツ記録

・flouw:形は落花生のようだが,実自体が複数連なり垂れ下がる.実同士はマグネットのようにくっつく.色は"夢色"で,opticalは揺らぎを持ちうるが,観念認識のこともある.味はグミのようで,口に入れた瞬間は弾力があるように予期されるが,それとは裏腹に驚くほど口溶けが良い.この認識の落差をエネルギーにして種子を顕現する.今のところ,何度やっても口に入れた瞬間に弾力があるように予期してしまうので,何らかの信頼異常がかかっているように思える.口に入れた後,すーっと滑らかに甘味が広がるが,細長い種が残る.これから手を離すと即座に空間転移し,そこに"突き刺さる".このプロセスまで認識すると,元あった実の連なりは消えてしまう.

・lekwk:形は小さく細長い円錐で,外皮は緑色で食べられない.その中にある実は黄色く,円錐側面を圧迫することで容易に取り出せる.この実は非常に柔らかいが,口の中にて噛むほどに硬化する.しかし,噛むのをやめると柔らかくなる.ゆっくりと保持して楽しむのが良い.

・swelite: これはhyrecで,赤色のtaquwlalな顕現を基調とした構造を持つ.これ自体に触れることはできないが,認識するといちごのケーキのような味覚が感覚される.また,特徴的な穏やかさを知覚する.これはとても良い.亜種もある.

粘性のとげとげ

よぉー,概日概日.排他の畑の橙を振るう.
みゃーびりっと.君は今日は調子が変化して破綻?
ながーい空の傾きに見合ってもね,未熟な鏡の晴れへ登る.
それなら分裂のスープをご馳走してあげよう.きっと気に入るさ.
まぁ,そいつは洞穴を裏返すと返し縫い.焦がしてみせよう.
盲目の虹も残暑を発酵して消えた.警戒.
どうして外部の突き刺さりが,こんなにも痛いか?
助長の泡は弾けても,秒針は縮こまって粘着する.
それだ,それだ.あわあわだ.だとしたら暇つぶしを纏う.
見えぬ路も由来の無く,灰色の断裂へ.さーびゅら!

ガスを解約して冷水シャワー生活!心頭滅却すれば寒中冷水を無に帰す.

今年に入ってから,ガスを解約して冷水シャワーで生きていこうと決意した.理由は簡単,生活費が浮くからである.あとは,この苦しみと理不尽に満ちた世界の中に存在するための力,これを鍛えようという気持ちもある.私の冷水シャワー生活は,1/1から始まった.

初日.服を脱いで風呂場に入る.そして,冷水シャワーを浴びる.プールなどでいきなり水に入るのは危険だから,徐々に慣らしていくと思う.これに準じて,私もまずは手,顔,腕などから慣らしていき,全身に冷水を浴びた.まず体験するのは,激しい呼吸である.これは冷水を浴びた経験のある人なら分かると思う.そして,体が本気で熱を作りに行くのである.体は震え,私は凍える寒さの中に存在する.しかし,決して負けはしない.私には覚悟があった.任意の苦痛に屈しない.心頭滅却すれば寒中冷水を無に帰す.そうして,体を洗い終えた.
風呂場から出る.湯冷めという概念はない.それどころか,体が温かい気がする.そして,この寒い中苦痛に負けず冷水シャワーを完遂した喜びを感じる.目標は,ガスを解約すること.だから,これを毎日続ける.

日は経ち,冷水シャワー生活を初めて一週間以上が経過した.このとき私は,もはや案ずることはないとしてプロパンガスの解約に踏み切った.若干の不安はあった.コンロはIHヒーターで,ガスを使っているのは風呂だけである.だから,頭で考えればガスの解約によって困ることはない.しかし,何か見落としている考えがないか不安になった.それでもなお,私はガス会社に電話をかけた.不安はいつでもある.未来はいつでもわからない.もしも私がこの選択によって苦痛を被ることになろうと,それは仕方がない.不運だと思おう.なにせ,私はいつか死ぬ,すなわち,非常に強い身体的苦痛に苛まれる時間がやってくるのである.これも仕方がないことだ.私は死を受け入れる.苦痛を感じるのは,しょうがない.だから,もしも私の選択が誤っていたとしても,私はその結末を受け入れる.この世界に存在する苦痛,悲しみ,理不尽,不条理は,許容せざるを得ないのである.
ガス会社に電話をかけ,担当の方が対応してくれた.引っ越しではなく単にガスの利用を辞めると言ったときには少々困惑されたが,すぐにガスの閉栓手続きを行ってくれた.こうして私は,ガス料金から完全に解放されたのである.
以下は,この日の日記である.不安が赤裸々に語られている:
『ガスを解約した.私は少々,不安を感じている.これで本当に良かったのだろうか,と.良いのである.そして,この不安というものを払拭しなくてはならない.適切に不安を無効化する術を.この手の不安は,自らの行動に依って何か「悪い」ことが起きるのではないかというものである.予期していなかったトラブルが起きるとか,今回の場合は一定期間以内で不可逆なので,もとに戻したくなる時が来ないかとか.しかし,この決定はもはや私の影響の及ぶところではない.今となっては,過去は夢の如き認識である.その時の認識状態というのは,いつでも唯一である.それを単純な同一性外挿で議論できるものではない.そのように議論することも可能であるが古典的であり,CRSにおいては内包されていない.任意の決定は,認識全体としての現象である.そしてその認識場の各分離認識ごとに,爲は顕現する.まずは,このようにして「責任」という認識を排除する.そうしてみれば,不都合は「因果応報」から「不運」に変化する.不運は星の数ほどあり,いつでも期待可能で,防ぐことができず,許容する他無い.自らの判断が著しく合理性を欠き,例えば法的責任を問われるような場合は防止可能であるが,今回はそのような判断に属さない.自らの判断能力の不足,原理的に知り得ないことによる判断の誤りは単なる不運である.ここで,苦痛は必ず過ぎ去るという事実的信頼を用いると,不運が立て続けに起きない限り苦痛はいつか無くなる時が来る.そのような時間区画が存在する.さすれば,何も恐れることはないのである.不安を生み出す因子は無限に存在する.よって,実際に不安が顕現するというのは自身がそれに曝されると予期しているときである.そして,例えば今回のように,不安の対象は具体的に認識されていなくても良い.ただ,自らの判断の存在のみで発生しうる.これは,実は時間減衰する.もっというと,その選択が原因として因果的に説明可能な認識を得るとき,それが不運を及ぼさないとする.これを繰り返されるようであれば,不安の尤もらしさは回数に対し十分速く減衰する.今までもそうだったのだ.不安から逸脱せよ.さすれば,金銭の認識から距離を置くことができる.この状態が実現されるべきである.不運を受け入れ,生きていく.歩いていく.そこにこれといった価値はなく,価値というものは自分で見出し,創造するものである.』

ガス解約から一週間以上が経過した今,私は元気に暮らしている.思えば,冬空の下雨に濡れる草花たちは,このような寒い思いをしていたのだろうか.まあ,彼らが苦痛を覚えるのかは分からない.しかし,こうしてみると我々は人工物によって苦痛を遮断しているのだと感じる.しかし,自然というのは中立で,美しい空や可愛らしい花を見せてくれることもあれば,冷たい風を吹かせたり不快な虫を見せてくることもある.言葉で伝えるのは難しいのだが,私には後者のような苦痛の側面というのは自然とのつながりのように感じられる.自然はニュートラルであり,私が冷水シャワーで感じる苦痛は草花たちと同じ.こう思うと,苦痛だからといって安易に棄却してしまわず,十全にその中に存在して,自らが自然界に生きるものの例に漏れず,苦痛を感じるべき存在なのだということを良く実感してみるのも面白い.まあ,苦痛にも適量があるため,今こうして適切な苦痛を享受している状況を有り難く思うのが良いであろう.

折りたたみ式ソーラーパネルを買って完全敗北した話

以前雑草のチカラシバを食べようとして完全敗北しましたが,今回はソーラーパネルです.最初にお断りしておきますが,この記事は個人用ソーラーパネルネガキャンをするものでは一切なく,単に私が不運かつ情報不足だっただけです.想定している読者としては,個人用の折りたたみ式ソーラーパネルの購入を考えているが,どういう人には向いていないのかを知って判断材料の一つとしたい方を考えています.この点を了解していただける方は以下へお進みください.

一応,私が購入したのはEcoFlowのポータブル電源768Whと110Wソーラーパネルがセットになってるやつです(リンク:楽天, amazon).無駄に記事を長くしてもしょうがないので,結論を列挙してしまいます:
・アウトドア先でのPC,スマホの充電など,小型の家電製品を動かしたい方にはオススメ.
ソーラーパネルの発電のみではそこまで電気代の節約になるわけではなく,かなり都合のよい条件で算出しても月360円くらいの節約にしかならない.
・家の庭先,ベランダでも充電は可能.しかし,近くに影となるものが一切ないのが理想.
パネルの一部でも影に隠れると大幅に発電量は低下する.最悪光は弱くてもいいから全面に当てるのが大切.もしくは,影に強いと謳っているパネルを入手するべき.
・複数枚連結されている折りたたみ式ソーラーパネルも,一枚の一部でも影に隠れるとかなり厳しい.重ねてになるが,影に強くない限りは光を全面に当てることが重要.
・窓際でも充電はでき,上手く光に当てれば最大出力の40%くらいの発電に成功した.なお,窓の大きさとパネルの大きさの相性には注意すべき(窓がパネルに対して小さいとパネルの一部に光が当たらず,発電量は大幅に低下する).なので,結果として小さいパネルのほうが一日の総合出力が高いということも考えられる.
・ポータブル電源をセットで使うことになるが,これらは災害時・停電時の保険としてはそこそこ安心感がある.80%くらい充電があれば,冷房の消費電力を600Wとして計算した場合,一時間は使える.パソコンの消費電力はだいたいこの1/10くらいなので10時間分の電源になる.
・ポータブル電源について.推定出力量がパネルに明記されているので,日々の消費電力がどのくらいなのか把握しやすい.エアコンの冷暖房も一時間くらいなら動く.そのため節電に意識が向き,結果として電気代の節約になる.

言いたいことはこんな感じになります.私が敗北したのは,窓の大きさが足りずにパネルの一部に光が当たらないせいで発電が上手くできなかったというものです.私はインドア派で,日々概念と抽象の世界や現実から逸脱した空間に暮らしています.なので,あまり現実における出費をしたくない,電気代を少しでも節約できればとの思いで購入しました.ただ,100Wを一日6時間,毎日充電できたとしても1kWh20円と仮定すると360円の節約にしかならず,これならエアコンの使用を避けたり設定温度を変えるほうが節約になります.どうにかできないかとアイデアを振り絞り,様々な策を講じましたが,頭だけではどうにもならない問題があります.外に出て置いてみても,賃貸の1階に暮らしているせいで庭木の影がちょうどぴったり半分のパネル(4枚連結されているうちの2枚)を覆ってしまい,発電量の表示は0(概算値と思われるので完全に発電できなくなった訳では無いが,数W程度). 工夫して影に当たらないようにしたものの発電量は安定せず,そうこうしているうちに太陽が電柱の影に隠れてしまいました.そして一日中散々苦労した私は悟ったのです:「あ,これ以上試行錯誤しても時間の無駄にしかならない.」と.しかし,一応奇跡的に60Wで発電できていたときもあったので,もしも全面に光が当たるようにパネルを設置できるのなら,パソコンを動かすくらいの電気は完全に賄えると言えるでしょう.アウトドア,災害・停電時の備え,単純に発電するのを見るのが楽しい人にはオススメです.
ソーラーパネル」で検索してみる(検索結果リンク)→楽天amazon