一つの認識描像

止まない雨はないが、時間内に止むとは限らない

「止まない雨はない」は、落ち込んだり嫌なことがあったとしてもそれがずっと続くわけではなく、いつか気が晴れたり良いことが起こるといった意味を持ちます。励ましの良い言葉ですし、なんだかんだ言って多くの問題は時間が解決してくれます。しかし、雨が止む前にこの世界からいなくなる人もいます。

例えば、仕事が嫌だとしましょう。誰でもそうかもしれませんが、この上なくとてつもなく嫌だとします。この状態に陥ると、仕事に行く間に例えば交通事故にあえば仕事に行かなくてもよくなると考えるようになるかもしれません。仕事に行きたくないなら、死んでしまえば行く必要は無くなります。死は目的ではなく、手段です。この状態で、他の選択肢に気づかなければ、本当に自殺を遂行してしまう可能性があります。本人にとってもつらい状況ですから、この状況を「雨が降っている」状態としましょう。

どうすれば、「晴れる」でしょうか。例えば、「会社を辞める」という選択肢を考えるというのがわかりやすいです。この選択肢に気づけば、自殺に至る前に転職し、よりよい環境でやりがいのある仕事ができるようになるかもしれません(もちろん転職できるのか、転職先もブラックだったらどうするのかという心配はありますが、行動しなければ改善する可能性は0です)。しかし、転職という考えが一切頭の中にない場合、彼はどのようにこの可能性に気づくことができるでしょうか。家族や友人に相談していればこの手の話はしてもらえるでしょうし、だれにも相談できない状況を考えましょう。すると、これにはなんらかの機会が必要であることがわかります。

例えば、たまたま転職した人の話を聞いたとか、同じ部署の人が転職したとか、気の合う友達が偶然できて、相談したら転職を勧められたなどといったことが起これば、雨は弱くなります。これらの出来事は、偶然起きたりします。

偶然起きる事象に遭遇するには、どうすればよいでしょうか。それはもちろん、長い時間この世界に存在することです。この例の場合では、最悪定年まで働き続ければ問題は解決されるので、この意味でも長く生きることは大切です。時間がたてば、転機が訪れ、雨が止む。これは、多くの「雨」に対して当てはまるかもしれません。ただ、これは外側から見た理想的な雨上がりであり、自殺も本人からすれば雨が止んだ状態です。実際には、自殺を考える人には複雑な背景があり、外側の我々から声をかけることは正直難しいと思います。なので私が言いたいことは、「自分に雨が降った時に、様々な可能性を考えられるようにしておく」こと、もしくは「自分に雨が降った場合を想定して、様々な選択肢を準備しておくこと」が大切である、ということです。現実的で具体的な例としては、生活保護制度について調べるとか、鬱病になったときに診断書をもらって休職できるのかとか、自己破産について調べてみるなどといったことです。あらゆる手段を使って何としてでも生きてみると、意外と楽しいことが見つかるかもしれません。時間内に雨を止ませるために、主体的にできることを考えてみてはいかがでしょうか。

 

今雨が降っている人のために、メンタル改善に効果のあると言われている冷凍ブルーベリーのリンク貼っておきますね。