一つの認識描像

自分を褒めるのも貶すのも、常に自分であるというお話

1. 自分の切り離し

私はよく、無意識に黒歴史を思い出して悶えたり、自分が他人から否定されるような場面を想像したりします。私の能力など、他の人からすればごみのようなものでしょう。しかし、自分自身の素直な認識に従えば、私は自分の事を気に入っていますし、自分が作り出したものも好きです。これによって、私は「素晴らしい人間でかつ、ごみのような人間」という相反する自己評価を内包するようになりました。このような生活を続けるのはなかなかしんどいもので、自身に対する肯定が生まれたときにはすぐに拮抗する否定が生じます。なので、このときにいったい何が起きているのかを考えることにしてみました。

この現象の説明方法について思慮していたところ、最も納得がいったのは自分というものが多数顕現しているという描像です。あくまで描像ですので、実際に人格がいくつかあるというわけではありません。例えば、自分がこの記事を公開したとします。そして、「もしかしたら、他の人からこの上なく貶されるかもしれない。いや、むしろそうでないとおかしい。」という考えが出てきます。この考えには、実際に他の人から攻撃されている想像が付随し、私は精神的なダメージを負います。このとき、私はいままで「想像上の他人」、つまり、攻撃可能な実在の他者からの攻撃を受けているような感覚に陥るのですが、このように冷静に文字に起こしたり少し考えてみると分かるように、この攻撃を行っているのは常に自分です。

攻撃を受ける可能性は非常に高いですが、しかし私は自分が作り出したものが好きなので「もしかしたら、誰かが評価してくれるような稀なことが起きるかもしれない」という期待を抱くこともあります。このとき、実際に評価されている想像が伴い、私は精神的な高揚を覚えます。しかしその刹那、「創作してるのはそういう目的じゃないだろ、承認欲求乙」という考えが発生します。これによって、自己嫌悪が実現されます。ここでも、他者の仮定による肯定を行っているのは自分ですし、その状況を否定しているのは自分です。自分で自分を褒めて、自分を褒めている自分を貶してるんですね。つまり、結構辛口な自分がいるというわけです。

この辛口な彼は、かなり手厳しいですが大切な存在かもしれません。個人的に、彼の存在の根源は「改善への希求」であると思っています。黒歴史を思い出すのも、別のよりよい選択肢があったからと考えることもできますし、他者からの攻撃可能性も、今の自分に甘んじず、より高い能力を持った存在に成長するための推進力のように認識することが可能です。このように、よりよい状態の実現を追い求めることで、例えば集団の中で攻撃される可能性も減りますし、生き残りやすくなります。なので、進化の過程から考えれば、割と妥当な機能であると言えます。

2. 共感と正当性

次に、共感というものについて考えます。私は基本的に自分が好きなものを作って、それを自分で楽しめるだけで十分ですので、別にそれが他者から非難されようとどうでもよいはずです。しかし、上の通り、無意識のうちに気にしてしまっています。そこで、この「他者からの共感」はどのような機能を持つのかについて考えてみました。

その結果、他者からの共感、もしくは意見の否定は、自分の意見の正当性に強く影響するものであると考えました。例えば、自分が面白いことを思いついて、それを友達に伝えたとします。もし、その友達も面白いと思ったなら、「やはりこれは面白いんだ」と、自分の作り出したものに対する肯定が強化されます。それを肯定するための認識上の土台が他者の共感により強固になり、自分の意見の正当性が強化されるのです。対して、なんかそこまで面白くなさそうだったら、「これは面白くないのかもしれない」と、自分の意見の正当性が揺らぐわけです。それが面白いかどうかを認識するのは最終的には自分ですが、「認識の正当性」というパラメタによって他者からの影響を取り込んでいるように解釈できます。

ここで分かるように、別に認識の正当性を他者に依存する「必要性」は全くありません。もちろん、集団の中で生存するためには必要な機能かもしれませんが、もはや要らないでしょう。このプロセスは個人的に面白いものだと思っていて、例えば誰かから悪口を言われたとします。このとき、①聴覚的情報を認識する、②意味を認識する、③悪口の対象となっている自分の要素を認識する、④その要素に対して低い評価を行うことの正当性が強化される、ということが起きます。そして、見ず知らずの人に悪口を言われても、なぜか④のプロセスを実行するだけの「信頼に値する」意見として認識されます。これはなかなか不思議だと思いませんか?まあそれは置いといて、とにかく悪口を言われた時も、④という自分による精神活動によって傷ついているので、最終的に自分を傷つけているのは自分というわけです。

3. 自分という存在を自分の中で閉じる

というわけで、他人の評価を気にしたくなければ④を抑止すればよいということになります。そのためには、自分が他人から何か言われたときに上の①~④を参考にして「自分の頭の中で何が起きて、自分自身を非難しているのか」を認識するのが良いです。そして、他人の意見と自分の意見を切り離しましょう。つまり、「他人に言われたから」自分のある要素の評価を下げるのではなく、「自分が、確かにここは改善しなければいけないな」と納得したなら評価を下げましょう。そして、自己成長を目指すのです。評価を下げるのも、それ自体が自分を傷つけることを意味しません。謙虚であることは、自己嫌悪と切り離されます。自分に厳しくすることは、自分を傷つけることではないということです。

この記事が少しでも皆さんの参考になったなら幸いです。

 

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