一つの認識描像

チータラが美味しい。本当においしい

何故かはわからない。だが、最近チータラが美味しくてたまらない。あまり食べると食費がかさむので週に一袋ほどしか食べないが、チータラを食べている時間は非常に幸せである。

なぜ、こんなにも美味しいのだろうか。おそらく、あのチーズとタラ(実は、チータラにはホッケも含まれている)の相性が最高に良いのだろう。チーズの旨味とタラの塩気に手が取らなくなる。

私は、最後の晩餐にはチータラを食べようと思う。チータラを1000円分ほど買うという人生最高の贅沢をして死のうと思う。もし、チータラを大量に買い込んでいる人を見かけたら、その人は死ぬ準備をしている私なのかもしれない。

買ってきたチータラをそのまま普通に食べても良し。複数本一気に頬張るのもよし。タラとチーズを分離して、それぞれ食べるのもまた一興である。わざわざ挟んであるものを引きはがして食べるというのは手間がかかるものだが、その分大量に積みあがったタラを見たときにはある種の達成感を感じるのだ。

なぜ、こんなにもチータラを美味しく感じるのか。なぜ、こんな訳のわからない文章を書いているのかは、私にも不明だ。ただ一つ、明確なのは、チータラが美味しいということだけなのである。週末のチータラを待つとしよう。