一つの認識描像

夢の中で知らないはずの事を知っている現象

夢の中で、今まで見たことのない物なのにそれがどういうものであるか理解したり、危険なものであると強い確信をもって認識したりすることがあります。私はこの現象を、「記憶異常」と呼んでいましたが、実は「信頼異常」と呼ぶべきものではないかと結論したので、それについて書いていきます。

まずは、存在に対する信頼の認識についてです。実は我々は得た情報に対して、それを存在であると信頼することで、それを存在と認識すると考えることが出来ます。これは例えば、「猫だと思ってたけど、あとからよく見ると壁の模様だった。」という状況に対して、かつてはそれが猫であるとして「猫の存在」を信じていたのが、あとで間違いであることが分かり「猫の認識」はその信頼性を失って、存在としての資格を喪失したと考えることが出来ます。逆に言えば、傍から見て存在してないと思えるようなものでも、強い信頼の認識さえあればそれを存在として認めることが可能です。これは幽霊や神など、様々な例があることが分かるでしょう。

次に、推測についてです。我々は未知の現象について全く手出しできないのではなく、今までの経験や論理から推測を行ってある程度のあたりを付けることが出来ます。これは時にバイアスとして働いてしまうことがありますが、それでも生きていくうえで重要なスキルです。発生した推測はあくまで未確定なものであり、事実であると確実に言えるものではないので、それが絶対であると認識されるということは少ないと思います。先程の「信頼」という言葉を使うと、生み出した推測をある程度信頼しつつ、しかし完全に正しい存在として信頼するということはしない、という状況になっていると考えられます。

それでは、夢の中で知らないはずの事を知っている「記憶異常」はどうなっているのでしょうか。これは、初見の現象について発生した推測が、そのまま本当のものであると信頼されてしまって、それが正しいと何の疑いもなく認識されているという状況ではないかと推察されます。その意味で、私は「信頼異常」と呼んだのです。結局のところ、認識主体のようなあまりにその存在を疑えないもの以外は、それを存在として十分信じるだけの根拠があるかどうかという蓋然性や尤もらしさの話になるので、夢世界というのはその点が極端な構造を持っているということでしょう。普通に基底現実に存在していても、自分が準信頼異常を顕現する恐れはあるので、その点は気を付けていかなければいけないという自戒でこの文章を締めたいと思います。