一つの認識描像

物理が嫌いな人になぜ嫌いかを聞いてみた、それとちょっと考察

「よくわからないから」だそうです。

 

私は物理好きなのですが、家族の中で自分以外は全員文系です。そして、母と弟に物理が嫌いな理由を聞いてみたところ、二人とも「よくわからない」とのこと。

まあ、気持ちはわかります。正直物理は難しいと思います。自分も専門書の一文に数時間かかるときもあります。しかし、彼らはそこまで難しい物理に触れて「分からん」と言っているのではなく、いわゆる物理基礎に触れた時点で苦手意識を持っています。

この点について考えてみました。物理を理解するには、やはりイメージすることと、論理的に考えることが求められます。そして、それを数式にして計算します。これは系の情報を数式に翻訳するような感じだと思います。そのうえで、最初は簡単な例として斜面を滑る物体や振り子の運動などに触れます。

ここで、「なんでこんなことしなければならないのか」という感想を持つ人が出てくるのも無理はないでしょう。簡単な力学系の時間発展を調べるだけで楽しい人も中にはいるかもしれませんが、そう多くはないと思います。このように必要性を見いだせない人にとっては、物理は単なる「解法の暗記」に成り下がります。こうなってしまっては物理はとんでもなくつまらないでしょう。

私は昔から科学が好きで、高校生の時も物理や化学の授業を楽しんでいました。物理の入試問題などではかなりの難問もあり、私は必ずしもそれらの問題をすらすら解けていたわけではありません。それでも、私はずっと物理が好きでした。この宇宙の事象が数式で理解できて、その学問を物理と呼ぶことすら知らない時から物理が好きでした。

それはなぜなのかというと、魅力的な「知識」を持っていたからです。宇宙にはブラックホールと呼ばれる恐ろしくも興味深い天体がある、質量を持っている物質は時空をゆがめる、非常に小さい粒子は波のようにも振る舞う。こんなに摩訶不思議で面白い世界をもっと知りたいと思うのは、私にとっては当然のことでした。そして、今も変わらず自然の不思議に魅了されて物理を勉強しています。どんなに難しくても、私が物理を諦めない理由はここにあると思います。

しかし、もし初めて知った物理が「摩擦のない床の上の質点」や「滑車」で、これに関する問題を解いて得点を取らなければならないとしたらどうでしょうか。単純なモデルを学ぶのは、その先にある高度な理論を理解するためです。しかし、その存在を知らなければモチベーションは大きく低下するでしょう。強制されているならなおさらです。

「よくわからない」というのは、「何のため」という目的がわからないのでモチベーションが低下し、その結果理解度も低下するからではないでしょうか。まあ、これは要因の一つに過ぎないとは思います。それに、正直物理がわからなくても「替え」はあります。文系に行ったり、化学と生物をとったりすれば良いのです。こうして、高校で初めて触れた物理を理解できなかった人はそれ以降物理に触れる機会を持たず、「よくわからない」という漠然とした印象を抱え続けることになると思います。

個人的には「もったいないな~」と思います。こんなに身近でどこにでもあって魅力的な学問なのに、勘違いされている気がします。まあ、人生それぞれなので別に問題ではありませんが。しかし、物理の第一印象をもうちょっと良くしたほうがいいんじゃないかなと思ったりもします。例えば、授業に入る前に最先端の研究や面白い実験、興味深い事実などを紹介するような時間があれば事態は改善するかも?