一つの認識描像

不安になりやすいのは、欲張りだからかもしれない

不安になるということは、安心が足りないということ。これから先、うまくやっていけるかどうか確証が持てなくて、おそらく大丈夫であってもありとあらゆる可能性を考えてしまうこともあります。でもよく考えてみると、未来はまだ存在していません。なので、未来で自分が失敗するような場面を創造して不安になっても、失敗している自分はまだいません。本来は、別に失敗してもいいんですけどね。とにかく、不安というのは危機管理の能力で、これは重要なものです。不安に感じやすい人は、よく準備して多くの可能性を考えられるため、能力が高い傾向にあるそう。
でも、もし辛くなったら、この「安心が足りない」について認識してみると良いかもしれません。不安に感じる危機管理の能力は、サバイバル時代の名残です。何か猛獣に襲われたりしないか、この可能性を考えなければ生き残る可能性は少なかったでしょう。しかし、あなたが不安になっている対象は、別にそれが失敗したとしても致命的な外傷を負うということはないと思います(もし負うなら警察沙汰です)。もちろん、怒られたりするのが何らかの作用で被攻撃可能性に結びついていることは多いです。しかし、今。この文章を読んでいる時間には、おそらくあなたは攻撃を受ける可能性はありません。これって、素晴らしいことではありませんか?つまり、不安になるというのは、今の安心・安全で飽き足らず、ずっともっと遠い未来まで安全であってほしい、考えうるすべての状況で安全であってほしいと願っているからかもしれないということです。過去や未来から離れてみると、この時間の認識が不安の引き金になっていることがはよくあるとわかります。明日殺されるわけでもなく、明日重要な何かがあるわけでもないのに明日が来ないでほしいと願うのは、遠い未来までの安心安全がないと満足できないからなのです。

なので、今自分が享受している安心・安全を再認識してみましょう。まず、物理的に攻撃を受ける可能性は法律があるのである程度大丈夫です。屋根があるので雨風しのげて、今日分の食糧がなくなることもありません。かつては、今日一日を生き残るだけでも大変だったのです。足るを知り、今自分が持っているこの充分な安心を抱いて生きていきましょう。