一つの認識描像

思考とは何を行うことなのかを、認識の観点から思考する

我々は論理的に物事を考えることが出来ます。そして、既存の認識から新しい認識を獲得することが出来ます。このときに行われていることを、「認識」という観点からどのように説明できるのかを考えてみます。

まず、我々が何か概念や情報を認識する時、それに付随する多くの認識を同時に認識します。例えば、「手」を認識した時に、この「手」というよく分からない視覚的情報に対してまず「て」という読み方(聴覚的情報)、また実際の手のイメージを認識したり、自分の手に意識が向いたり、他の動物の手を認識したりします。また、意識していないレベルでも、手には手のひらと手の甲があるということや腕に接続している体の部位であることも分かっていて、そのように言われると何の違和感も驚きもなく認識できます。これは、「手」に対してこれら複数の認識が繋がりを見出されているということで、明示的なものと暗示的なものまで含めてSR(Simultaneous Recognition)と呼ぶことにします。
論理的推論というのは、連想の特別なバージョンであると考えることが出来ます。連想というのは、ある概念Aに対するSRの中から、何かを選択するということであると認識可能です。この選択に特別のルールを設けているのが「推論」と呼ばれるものです。

ここから、最初に経験として認識を獲得して、思考によって新たな認識を獲得するまでに行われていることを調べてみます。まず、何か経験認識が与えられます。具体例を考えると分かりやすいので、例えば「机の中に筆箱がある」状態の視覚的情報を思い浮かべてください。しかし、この時「机」とか「筆箱」とかいう概念が、その視覚的情報から単離されるのは全く自明なことでは無い点に注意してください。持っているのは、与えられた視覚的情報の全体のみであり、ここから「筆箱」なる概念を抽出しようと思えば、視覚的情報を「切断」する必要があります。これは、例えばその特徴的な視覚領域に対して「手で作用する」ことで、その情報だけ動けば、それが単一の概念として状況から離脱して抽出されうると判断されるかもしれません。実際には膨大な量の経験認識があり、そこから情報の類似性などを通して概念を抽出することになります。そして、「机」、「筆箱」のような概念を知ったなら、上に挙げた例の視覚的情報から、切断と概念の相関として、新たに「『机』は『内部』なる認識をSRに持つ。『机の内部』に『机』ではない視覚的情報Aが存在する時、『机の中にAがある』として状況の認識とすることができる(Aは『机』の一部としては扱われない!)。よって、現在得られている視覚的情報を、『机の中に筆箱がある』として認識できる。」として、机と筆箱という概念が単離されたままで、しかし相関を見出されて「状況として」認識することが可能となります。まとめると、我々はこの世界に生きる中で多くの経験認識を得、そこから特徴的な認識の抽出(切断)を行うことが出来て、それを概念として内包可能です。すると、ある一つの認識を切断して、複数の概念が相関を持った状況として認識できます。
さて、単なる単一の情報を、状況の認識という、意味のある認識にまで持っていくことが出来ました。実は「意味」というのは、SRとそこに現れる概念の相関認識によって与えられると考えることも可能です。ここで、切断による複数概念の認識をSRだと考えてみれば、「机の中に筆箱がある」という視覚的情報の意味は、そこに同時多発的に認識される複数の概念とその相関の認識であるとしてSRであると理解できます。

それでは、一般に概念A, Bの相関A-Bが認識されたとしましょう。ここで、"-"はある相関形式を表し、どのような関係かを指定しています。そして、これは我々の凄まじいところなのですが、これを「汎化」することが出来ます。つまり、ワイルドカード*を用意して、A-Bなる相関認識から、*-BやA-*なる抽象的な動的観念へと認識の抽象度を高めることができるのです。
例えば、AさんとSさんが花壇でお花を育てているとしましょう。ここで、Aさんの身長は低いとします。また、AさんとSさんはとっても仲良しで、お互いに大きな愛情を持っているとします。残念ながら、Sさんのお花が今にも枯れそうです。そこで水をあげすぎたから上手く育たなかったのでは、と言われます。ここで得た認識は、「花に水をあげすぎると育たない」というものです。ここでSさんがひらめきます。そうか、Aさんの身長が低いのは自分が愛情を注ぎすぎたからではないか、と。このひらめきは、どのように説明できるでしょうか?
まず、表現の変更が行われます。つまり、「花に水をあげすぎると育たない」から、「花に愛情をあげすぎると育たない」となります。ここで、「*に愛情をあげすぎると育たない」という、言明の汎化が起こります。これは、「育たない」という結果を引き起こす原因として、「愛情をあげすぎる」というものが認識されており、本来の「花に対する言明」であるという認識からより一般的な認識になっていることがわかります。このとき、「育たない」からのSR(連想)で、身長の低いAさんが認識されることになります。すると、「Aさんの身長が低い」という結果とは、Aさんが育たなかったということで、その原因として汎化された言明を適応して、「Aさんの身長が低いのは愛情を注ぎすぎたから」という認識を得るに至ります。このようにして、ある相関認識を汎化することによって、ある状況に対する新たな説明を獲得することが出来ます(これも汎化!)。これは、思考において重要な要素であると考えられます。もし、新たに得られた認識に一致する経験認識があれば、その汎化と適用は経験予測としての信頼を強くすることになります。

このようにして、経験認識からの切断、概念・観念の抽出、相関認識の獲得とその形式の汎化、適用を行うことで様々な概念を獲得して自在に結びつけ、思考を行っているのではないかと、私は思考しました。素人の考察なので、あしからず。