一つの認識描像

もういくつ寝てもお正月?

今日はお正月.なので,あと0回寝るとお正月です.しかし,二度寝することが可能です.この時,今日中に目が覚めれば一回追加で寝てもお正月です.さらにさらに,その後また寝て今日中に目が覚めれば,またまたお正月です.おお!これはすごい!しかもこの時,あと-1回寝てもお正月であることがわかります.

さて,ここで議論すべきなのは「寝る」という概念についてでしょう.自然言語というのは曖昧な定義で,私のような人間につけ入れられる隙きを持っています.寝るというのは,もちろん完全に眠りに落ちてしまうという意味もあります.しかし,「寝床に入る」「横たわる」も寝るという言葉の定義に含まれます.「もういくつ寝るとお正月」の「寝る」は明らかに一度眠りに落ちる意味での「寝る」ですが,ここで概念の一般化によりあえて解釈を変更することで「横たわる」として捉えます.するとどうなるか.なんと,ベッドの上で腹筋することで高速で「寝ている状態」と「寝ていない状態」の反復横跳びが可能になります.これはすごい!もういくつ寝るとお正月なんて話じゃないぞ!
しかし,この方法には限界があります.そう,腹筋がもたないのです.この「寝る」のは限界があるため,別の解釈を考えましょう.横たわっている人が目を開いていると,それは外側から見て眠りについているようには認識されません.しかし,目を閉じてじっとしていると,寝ているように認識されます.自分の認識においては寝ていないことは分かるのですが,他者の認識については確実にわかるのではなく,推測の域を出ません.これを私は「信頼までで寝ている」と表現します.そして,この信頼までの「寝る」を「寝る」の定義に含めて,「一般化された寝る」を認識状態に対して定義します.さすれば,他者において「一般化された寝る」を認識するためには横たわって目を閉じてもらえば良いので,高速まばたきしてもらえば良いことになります.ここで,「そんな事したら寝てないのは明らかにわかるだろ」という声がこの文章を書いている私の口から聞こえてきますが,その点に関して自身に信頼異常を付与することで認識を書き換えます.

でも良く考えてみると,目を開けたまま寝てる人っていますよね.もっというと,寝言とか夢遊病とかあるじゃないですか.実は自分以外の全人類寝ていて,みんな自動的にレスポンスしてるだけなのかもしれません・・・.とすると,実は自分以外の人が寝ているのか寝ていないのか分からないのではないかという可能性が浮上します.確かに,自分以外の意識は分からないので,実は「他者が寝ている」とは,「その人が寝ていると私が認識している認識状態」に対する言明であると考えることが出来ます.そして,通常の状態で寝ているのか起きているのか分からないとすれば,起きているように見える他者に対して認識を目まぐるしく変更することで,お正月睡眠カウンターを爆速で増やすことが出来ます.この認識のもとで,友達に「君はあと-1000回寝てもお正月だね!」ということが出来ます!やったね!・・・.やったのか?