一つの認識描像

因果の認識は比較から生じる

「因果」という認識について考えます.
因果とは,ある原因が存在して結果が生じるということです.例えばドミノ1,ドミノ2が順に並んでいるとしましょう.ここで,ドミノ1が倒れると,ドミノ1がドミノ2にぶつかり,そしてドミノ2が倒れます.この時,「ドミノ2が倒れた」原因として,「ドミノ1が倒れてドミノ2にぶつかった」を認識できます.これは「ドミノ1」「ドミノ2」という2つの認識の関係性を記述するものであり,特に「ぶつかった」という部分が因果的言明においては重要であると思われます.ぶつからなかったり,そもそもドミノ1が倒れてもいないのにドミノ2が倒れた場合は,ドミノ1の状態に「ドミノ2が倒れた」という認識の原因を追求できません.よって,因果には直接的な作用が加わったという認識,すなわち「相互作用の認識」が不可欠です.

では,相互作用の認識は本質的には何なのでしょうか.これは,仮定と比較によると考えられます.例えば,ドミノ2だけが存在している状態を考えてみましょう.このとき,ドミノ2は静止し続けます.そして,「もしドミノ2以外に何も無ければ,ドミノ2は静止し続けるだろう」という信頼が認識されます.このように,一般にある認識Aの変化特性(今回の場合は「変化しない」という特性)が認識されるのですが,これをtf(A)と表します(tfはtransition formatの略).では,ドミノ1とドミノ2が並んでいる状況を考えましょう.そして,ドミノ1が倒れてドミノ2にぶつかったとします.ぶつかった後のtf(ドミノ2)を認識します.このとき,「仮にドミノ1がぶつからなかった時」の仮想的なtf(ドミノ2)をtf(ドミノ2)'としておきます.このとき,tf(ドミノ2)≠tf(ドミノ2)'です.この差異の認識こそが,相互作用の認識の本質であると考えることが出来ます.「もしもある認識Aが存在しなければ,今得た認識Bは実現されなかっただろう」という認識があれば,「Aを原因としてBが生じた」と認識されるはずです.そして,上の認識を得るためには,「Aが存在しない」という仮想的過程の認識と,Bという実現された認識の比較を行う必要があります.
これはすごいことです.何故ならBを実現するために用意したのと全く同じ状況はもはや実現されないからです.Bの認識を得た時だけたまたま,実はAが存在しなくてもBが実現されていたかもしれません.その後にAが存在しない状況での認識を確認しても,それは前の実現時とは別の状況で,完全に同一の認識を再現することは出来ません.過去に戻って自分の「Bを認識した・過去に戻った」という認識も無為にして「Aが存在しない」状況での認識を確認することはできませんし,もし出来たとしても,今度は「Aが存在した」場合の認識を得ることが出来ません.完全に同一の認識の下で2パターンの認識変化特性を得ることは不可能なのに,我々は平然と比較して因果的な認識を得るのです.
さらに,上の議論がクリアできたとしても,2つの認識の相関を得ただけで「何が変化を『発生』させたのか」はわかりません.発生の認識は,実は相当に困難です.何故なら,発生者を認識したとすると,その「発生者の認識」の発生者を必要とします.これは無限に繰り返されることになり,因果の無限後退に相当します.因果というのは,こんなにも異常なのです・・・.