一つの認識描像

「坊や良い子だねんねしな」の真実

「坊や良い子だねんねしな」といえば,日本昔ばなしのオープニングテーマの歌い出しである.私も小さい頃に親に見せてもらったことがあり,今となっては懐かしのフレーズである.しかし,私はこの歌詞の意味をよく考えたことがなかった.ただただ,母親が小さい我が子に語りかける,優しい言葉だと思っていた.しかし,この裏には人間の闇が隠れていたのだ.

「坊や」というのは,小さい子に対して語りかけるための言葉である.しかし,坊(ぼう)という音には別の解釈も存在しうる.そう,bowである.これは「弓」という意味を持つ英単語であり,カタカナ表記ではボウと表される.さて,この時点で「弓や」となるわけだが,これは明白に「弓矢」を意味しているだろう.そうに違いないし,そうとしか思えない.すると,「弓矢 良い子だねんねしな」となる.そう,これはアサシンの歌だったのだ.「良い子だ」は標的が狙いやすい位置にいること,もしくは,仕事を与えれくれてお前はイイやつだという皮肉を表しているのだろう.「ねんねしな」の意味はいふべきにもあらず.

次に来る歌詞を覚えているだろうか.「今も昔も変わりなく」である.このような仕事は,現代で目にすることはそうそうない.しかし,世界の何処かには今も変わらずに存在しているということを,この歌は喚起しているのではないだろうか.昔話では無いのだと,最もコントラストを効かせて主張しているのではないか.私は,そのように感じた.