一つの認識描像

知らなかったほうが良かったこと

あることに気づき,もしくはあることを知り,それを知らないほうが良かったと思うことはあるだろう.私も嫌悪を抱いたり,生きる意味を失ったりしたことがある.しかし,強い意志のもとで私はこう言いたい.知らなかったほうが良かったことなど無いと.

知るという言明は広い.知識を得るということ,経験をするということ全般に用いることができる.もっと言えば,かつて知らなかった未来をこの一刻一刻に「知り続けている」ため,全ての時間に「知る」という概念がへばりついていると考えても良い.そして,知らなければよかったと思う認識を得る可能性は常に付き纏うものである.
だからといって,「知るということを否定することは人生を否定することである」などと言いたいわけではない.それに,別に人生を否定することは特に問題ではない.私が言いたいのは,「知らなければよかった」と思っているのは「現時点で」という注釈付きであるということだ.ある知識を得て不都合を生じたとき,その不都合を解消するすべを「現時点で」持たないから,そのことについて嘆いているのが目下の言明の正体である.つまりこれは明確に認識された困難であり,乗り越えるべきものなのである.

もし心身ともに健康で元気もあるなら,この困難に立ち向かうことで問題を解決することを推奨できる.そうすればその先に見えている世界はきっと,それを知らなかった時よりも一段階良いものになっていると思う.もちろん,困難は無限にやってくる可能性がある.しかし,立ち向かうことで無効化できるのであれば臆する必要はない.知らなければよかったと思っているものの数は,乗り越えるべき困難の数である.無限に立ち向かう.
しかし,なかなか辛いと思うときもあるだろう.人間の状態というのは大きくも小さくも周期的で,自分の中のいくつもの属性が周期的に変化し,その総合的な結果として自分の状態が存在していると考えることもできる.もちろんこれは荒く見ている.この世界は,ある意味で周期的だが不可逆な世界だ.なので,強くあることが難しいような時間も訪れるのは仕方がない.そんなときは,今の状態が永遠に続いてしまうと考えがちだが,実際には周期の途中にいるだけで,時間の経過か適切な処置でそこそこの状態にまた戻っていくだろう.なので,周期的に訪れる気分の良いときに立ち向かうと良い.それまでは,「いつか知ってよかったと思える日が来るはず」と思って,そんなに取り合わずに安静にしているのが良いかもしれない.