一つの認識描像

「ねるねるねるね」というありふれた奇跡

ここで一句:
ねるねるね
ねるねるねるね
ねるねるね
ねるねるねるね
ねるねるねるね

ねるねるねるね」というお菓子がこの世界には存在する.私は,これは奇跡の類だと思っている.久々に琴線に触れてしまった.そう,この名前である.
ねるねるねるね」と聞いて,何故「ねるねるね」ではないのか?という疑問が出てくるのは自然だろう.「ねるねるね」になる可能性も,十分にあったはずである.それに,確かに練ることを売りにしているとは言え3回も「ねる」を繰り返した挙げ句,最後は「ね」までで止めてしまうそのネーミングは出てきやすいものではないだろう.この言葉が世界の中に誕生した事自体,奇跡であると言える.
考えてみてほしい.「ねるねるねるね」が別の名前であるような世界を.考えられないだろう.少なくとも私には無理である.あれはあまりにも「ねるねるねるね」であり,人間の精神との完全な調和の実現さえも感じる.あのお菓子の名前を知らない人に出して「これ,ねるねるねるねっていう名前なんですよ」と教えた時,100人中1万人がなんの抵抗もなく全てを完全に理解するはずである.これは単なる納得ではない.この言葉を聞いたときの内なる認識の繋がりと変化,そして湧き上がる種々の感情と感動.これら全てが過不足無く美と均整の中に佇むのだ.